コエンザイムQ10とは

コエンザイムQ10が身体に嬉しいこと

コエンザイムQ10

コエンザイムQ10って何

生命活動の根源であるエネルギー(ATP)は、細胞内小器官のミトコンドリアで産生されます。

その時必要不可欠な補酵素がコエンザイムQ10で、別名「ユビキタス・ユビキノン・コーキューテン(あらゆるところに存在するもの)」です。

 

ビタミンが体内では合成されないのに対して、コエンザイムQ10は体内で合成されます。

食物から摂取した場合のコエンザイムQ10の体内存在量は、20代をピークに加齢とともに減少し、50~60代ではほぼ半減するといわれています。

 

エネルギーを十分に蓄えるコエンザイムQ10の補給は重要で必要なキーワードだといえるでしょう。

体の中では特に心臓、腎臓、肝臓、膵臓、脳などの活動量の多い臓器に多く存在します。

臓器からコエンザイムQ10が低下していくグラフ

私たちの元気と若々しさを支えるコエンザイムQ10ですが、残念なことに体内での生産能力は20歳くらいをピークに衰えはじめます。

特にコエンザイムQ10を多く含む心臓では40代で約30%、50代ではなんと50%以上が失われてしまいます。 (上図参照)

コエンザイムQ10は牛肉、イワシ、ブロッコリーなどの食材に含まれていますが、いずれも微量です。

例えば補給の目安として100mg摂ろうとすると牛肉なら約4.5kg、イワシなら約20匹、ブロッコリーで約14kgを食べなければなりません。

日常生活で、このような量を食べるのは困難ですので普段の食事のバランスをとりながら、そのうえでサプリメントの活用をおすすめします。

コエンザイムQ10を食事から摂取する場合の必要量

肌への効果

このように非常に還元力の強いコエンザイムQ10は、肌にも効果があると研究が出ています。

内側からはサプリで、外側からは化粧品で、というように活用して頂ければよりイキイキとしたライフスタイルを送れますね。

 

今里前会長体験談 ~絶望からの復活~

ピュアヘルス_代表取締役

「頑張ってね!」と祈るような妻の声を遮って、無情にも手術室のドアはガチャンと閉じました。

手術台に移された私に、麻酔医が「今から脊髄注射をします」との声に痛みをこらえたのも束の間、深い眠りに落ちていったのです。

それからどれだけの時間が過ぎたでしょうか、目が覚めると横には心配そうに見つめる妻の顔が。

8時間かかった心臓バイパス手術は成功したものの、当時72歳という高齢の肉体には最悪なダメージが残りました。

加えて、このときに大口取引先、大型店など3件の相次ぐ倒産を告げられ、目の前が真っ暗に。あまりの絶望から、奈落の底に引きずり落とされた気分でした。

 

そうした中私は、わざわざ大阪から見舞いに駆けつけてくれた親しい友人に「もう体力も気力もないので会社経営を譲りたい」弱音を吐くと、彼は「そんな弱気になってどうするんですか、頑張りなさいよ」と激励してくれました。

 

そのとき「コエンザイムQ10という薬がアメリカでは、今健康食品として出ていますよ、飲んでみたら」と教えられ、半信半疑ながら1粒200mgの高濃度のものをアメリカから取り寄せ飲みはじめたのです。

それから半月ほど経ち、2階の事務所に上がってきた私の元気な足取りを見て、社員も目を見張るほどびっくりしていました。

そうした周りの反応を見て「よし、これなら人助けのビジネスができるぞ」と確信が持てたことから、厚生労働省の食薬区分の解除を待っていち早く製品化を企画したのです。

 

原料であるコエンザイムQ10を入手するため、前述の熱い思いを胸に、最高水準の品質を取り扱うといわれる(株)三菱ガス化学(本社・東京千代田区丸の内)を訪問。

2度ほど受付で断られたものの、それにめげることなく、更に数度にわたり訪問することで、やっと応接室に通されました。

そして応対に出られた部長さんに、自分の信念と体験談を交え、原料卸を懇願したところ、ようやく快諾していただけたのです。

このときばかりは、飛び上がらんくらいに喜んだことを今でも鮮明におぼえています。

こうして同社での国内初の原料出荷を受けたことにより、ビタQ10のネーミングで2002年5月、ようやく発売にこぎつけることができました。

商品開発にあたってはまず実効性を主眼に大量摂取が可能な1粒50mg×60粒とし、それにエネルギー産生と相性が良いビタミンB群を配合。

反面、ブロックパワーという面で相性の良いビタミンCは、混合すると経時劣化が危惧されるという権威ある諸文献を根拠に、あえて配合からはずしました。

しかし、欧米諸国での多数のエビデンス(効能効果があることを示す証拠・検証結果)があり、自分の体験に裏打ちされた自信ある商品であっても、日本ではまったく知名度のないものが簡単に売れるわけがありません。

 

それでも私は、当時悶々としたものを抱えながらも怯むことなく「これで人助けをするんだ」という初心を堅持しながら、日々各方面を説得にまわっていました。

そうしているうち、ユーザーの体験談が伝わったことで、徐々に理解してくれる人々が増え、販売も少しずつ軌道に乗るようになってきました。

 

そんな折、テレビ番組での放映をきっかけに爆発的なフィーバーとなり、一大ブームが巻き起こったのです。

そうなると、我も我もと新規参入のサプライヤー(末端商品製造業者)が乱立。

メーカーの原料供給がたちまち逼迫して、パニック状態になったことは、いまだ記憶に新しいことです。

しかし私は、原料価格が天井知らずに高騰したときにも、メーカーの協力を得て「人助けのためのビジネスとして始めたのだから、ブームに便乗しての値上げは絶対にしない」との信念で頑張って参りました。

その結果、今では確固たる定番商品として定着。

今日に至っている次第であります。